プロジェクト物語01 アクト海外進出の先駆となった中国深セン工場。その始動と躍進。

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 いまや急成長する中国市場を、この目で見てみたい!

2007年の2月。いきなり社長に呼び出された吉岡公善は「なにか失敗でもしたか」と不安を感じつつ、社長室のドアを開いた。応接で出迎えてくれた当時の日軽新潟社長(現アクト社長)は、少しばかり雑談をした後で、吉岡にとっては想像もしなかった本題を切り出す。
「中国に行ってくれないか」

入社3年目で、押出素材スタッフとしてようやく仕事をこなせるようになったばかりの吉岡は、一瞬わが耳を疑った。しかも、中国での担当は、素材ではなく生産ラインの立ち上げだというのだ。
「きみには素材分野だけでなく、加工分野の技術も身につけて欲しい、そのためにも、今回の仕事は良い経験になるはずだ」
この言葉を聞いた吉岡は即答した「行きます」と。
社長からの大きな期待を感じたことももちろんだが、いま急成長を遂げている中国という国をこの目で見てみたいという気持ちもあった。こうして、2ヶ月後の4月、吉岡は香港の対岸にあたる深センへと赴任する。

 世界初のビジネスに挑戦する、中国での生産拠点。

アクトが中国に生産拠点を開設したのは、2004年のことだった。中国の自動車市場が急成長するなか、日本の大手自動車メーカーも続々と現地生産工場を設立。しかしながら、一部のパーツは中国国内で生産することができず日本からの輸入に頼っていた。そのパーツのひとつが、アルミ製のバンパーレインフォースだったのである。
バンパーの内側に取り付けて襲撃吸収をおこなうこのパーツは、車体の安全性に関わるため厳しい検査基準が設けられ、中国の技術ではまだまだ生産が不可能だったのだ。しかしアクトには、日軽金時代から10年にわたる、アルミ製バンパーレインフォースの研究実績がある。中国大手のアルミ加工会社との提携による押出材の生産ラインも持っている。
世界初となる中国でのアルミ製バンパーレインフォースの生産だが、可能性はある。そう判断したアクトは、自動車大手メーカーからの要望を受けたこともあって、アルミ製のバンパーレインフォースの中国現地生産を決意。中国企業との合弁によって新会社"華日軽金(深セン)有限公司"を設立した。
吉岡に与えられたミッションは、今後量産が期待されるこの深セン工場における生産ラインおよび技術の育成だったのである。

言葉と文化の壁を越えて育んだ、確かな信頼関係。

意気揚々と中国に赴任した吉岡であったが、最初から大きな壁を感じることとなる。それは、言葉と文化の違いだった。自分の考え方とは全く違う考え方のスタッフ、オペレーターたち。いくら説明しようとも、自分が納得しない限り仕事に取りかかろうとせず、予定していた通りの成果が上がらない。
設備のプランニングにはじまり、生産ラインおよび品質保証体制の確立、品質管理、顧客対応など日々の業務がただでさえ山積みのなか「なぜできないんだ」「なぜうまくいかないんだ」と落ち込み、いらいらばかりが募っていく。中国語の話せない吉岡にとっては大切な、日本語ができるスタッフとさえ口論になることが増えていった。
そんなとき、見かねた深セン工場の社長がひとつのアドバイスをしてくれる。
「仕事も大切だけれど、まずは中国のことをもっと理解しなさい」と。
彼自身、中国から日本に渡って20年以上働いていた経験があり、逆の立場から助言してくれたのだ。

それからの吉岡は、現場にいる時間が長くなった。中国語が話せなくても生産現場の中に飛び込み、それこそ身振り手振りで積極的にコミュニケーションをとりはじめた。プライベートでも酒を交わし、中国の習慣をいろいろと学んだ。なにより、仕事でも意見が衝突したときには「じゃあきみの考え方でやってみろ」と一度は任せる度量も見せるようになってきた。
おかげで「ヒアリングに半年、会話に一年かかった」という吉岡の中国語が上達する頃には、スタッフ、作業者との間に確かな信頼関係が生まれていた。日本から指導に来たという意識を捨て、ときには衝突しつつ、けれど協力しあうことで仕事が好転しはじめたのである。

海外での「成功事例」として、アクトの国際化を加速。

吉岡が帰国する2011年までの4年間で「華日軽金(深セン)有限公司」の社員数は21名から170名へと大幅に増え、年間生産量も約10倍にまで飛躍した。製品も、当初のバンパーレインフォースだけでなくサンルーフレールなどに拡大。アクトにおけるアジア進出の先鞭となった深セン工場は、立派な"成功例"となったのである。このことは国内においても、ビジネスの先に海外を意識させる契機となり、国際化の視点を社内に広げていく。
さらに、2008年末には「日軽(上海)汽車配件有限公司」の工場が完成。深セン工場は日系メーカーとの取引が主体だったが、こちらは中国進出してきた欧州系メーカーとのビジネスが中心となっている。
「中国へ行き、本当に様々なことを経験させてもらいました。現地会社も急成長を遂げましたし、中国の皆さんと協力しながら、ダイナミックに動ける仕事をさせていただけているのは、自分の中でも宝物だと思っています。これからも今後ますます発展していく国際化の中で頑張っていきたいと思っています。」
中国へ赴任し、現地会社の方々と共に奮闘してきた4年間を、吉岡はこう振り返り、これからの意気込みを語る。

プロジェクトスタッフ・プロフィール

吉岡 公善Kimiyoshi Yosihoka

自動車ビジネスユニット
2004年入社|機械システム工学研究科卒

※所属部署は取材当時の物

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