日軽金アクトの誕生秘話

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プロジェクト“A” 〜知られざる日軽金アクト誕生秘話

“喉元に刃を突きつけられた”その時の事をアクトの社員たちはそう表現する。
 2001年、業績悪化の一途を辿っていた日本軽金属に就任した新社長は、その年末の納会の時に、後にアクトの面々になる押出事業部と軽圧加工事業部のメンバーを前にきっぱりと言い切った。
『収益のあがらない事業はいらない』
『来年はこのメンバーが一同に会して、新しい年を迎えられるか解らない』
『金の切れ目は、縁の切れ目・・・とも言う』
 確かにアルミ業界は低迷していた。押出事業の売上げの多くの部分を建材向け押出材と市況品が占めている。その建材向けは、バブル崩壊による建設不況が原因で、販売価格の陥没が著しかった。しかしその危機感を認識し、営業は新しい分野・商品も開拓しているし、工場は懸命な原価低減もやっている。それでもまだ『いらない』というのか。
 会社の経営方針が決まった。『押出事業部は陥没事業の為、2002年10月に分社化。社員は全員転籍』
 通常、分社等をする場合、母体会社にいた社員は出向という形で給与や保障が確保される。しかし今回はそんな温情もない。自分たちの責任で、会社を創業し、自分の食い扶持は自分でつくれ! 簡単に言うと、そういうことだ。
 退路は絶たれた・・・もう「やるしかない!」
分社までの期間は半年。後にアクトの社員になる120人を総動員したアクト誕生劇が幕をあけた。

晴天の霹靂

なぜお荷物扱いされるまでに収益が悪化したのか。分社を見直しのチャンスと考えて、「ビジネス戦略」「販売のあり方」「組織のあり方」「教育のあり方」、etc.・・・と、それぞれにタスクチームを編成し、本来、儲かる企業ならばどうあるべきかを討論してみた。
・・・自分たちの惨憺たる有り様を浮き彫りにする結果となった。
 例えば「販売のあり方」
営業は「めかたで勝負」の慣習にどっぷりとつかってアルミを何トン売ったか、それが大切だと信じていた。しかし、その陰で生産(工場)はあえいでいた。営業には粗利は見えても、経常利益で考える習慣がなかった。これでは、儲かるはずがない。個別原価すら見えず、「あなたつくる人」「わたし売る人」という大きすぎる企業の弱みも露呈した。
 小さなお店を例に取ってみた。
仕入・販売・会計と担当が別れていても、店員は互いの動きも商品の流れも把握している。ビジネスは“スモール・イズ・ビューティフル”だ!
 我々も、小さくてわかりやすい集合体であることを目指そう。この意識があれば、1つの1つのビジネスひいては会社の収益を考えられる。そうやって正しく捉えた“収益(経常利益)”を自分たちの評価基準に決めよう。
 この方針を見つけた結果「組織のあり方」にも答えがでた。ビジネス(創って、造って、売る)をマネージメントできる組織にするには、市場分野ごとにそれぞれの機能がまとまって動くのはごく自然な流れ。こうして現在のマーケット分野別ビジネスユニット制が誕生した。
 マーケット分野別に開発・生産・販売がまとまる良さは、ひとつひとつのビジネスに対して一気通貫で動けること。従来の、開発が“創って”、生産が“造って”、営業が“売る”から──ビジネス責任者がその全てに責任を持つ――理想的アクトの企業スタイル“創って造って売る”のカタチが出来上がった。

惨状を直視することで導かれた解答。

考えていけばどんどんコンセプトはシンプルに、しかし軸は揺るぎないものになっていった。社員たちは、各々の持ち場で、この軸を忠実に守った。営業は「めかたで勝負」を止めた。収益性がないと判断した案件については粘り強く価格改定交渉を行い、改定できない時は、たとえ長いお付き合いのお客様であっても取引を辞退した。工場も変った。今まで曖昧で済ませていた一つ一つの商品の原価を、日夜惜しまず分析しなおした。そして造り方を徹底的に改善していった。開発は、知恵だけでなく汗も絞った。昔みたいに、図面だけ書き上げて製造に後を任せるのではなく、つくりの現場に足を踏み込み、どうすれば合理的にコストを下げられるのかを追求した。
もちろん、こういった意識改革以外にも、進めなければいけないことは山ほどあった。平日は通常業務をこなし、土日は新会社のために費やす。部課長クラスは半年間休日ゼロ。めまぐるしい半年を経て、2002年10月、日本軽金属押出事業部と軽圧加工事業部は日軽金アクトとして分社を果たした。
 その後のアクトは快進撃を続けている。業績は急回復。おかげで、しばらくは苦しむ事を覚悟して導入した業績主義の賃金制度は、今のところアクト社員に励みを与えるプラス要素に働いている。
 企業の在り方を考え、そして行動すること。今なら厳しくも温かくアクト誕生を見守った日軽金の社長が好きな言葉“Hands on”の意味が理解できる。実際に触らなければいけない。机上では何の解決策も生まれない。全くそうだ。
 興味深いことに、アクトが導入したマネジメントスタイルを、親会社の日軽金は1年後にほとんど採用している。小さなものが大きなものを動かす。まさに“スモール・イズ・ビューティフル”だ。

意志で固めた土壌から、力強くアクトが芽吹く

2008年には世界的な金融危機、いわゆるリーマンショックがアルミ業界全体にも直撃した。アクトも大きな痛手を受け、業績は急落する。右肩上がりの快進撃を続け、さらなる躍進を目指そうとしていた矢先であっただけに、社員達のショックも大きかった。しかし、アクトは早期にV字回復を果たした。それは分社化当時のマインドが既に皆に定着していたからだろう。愚直に「創って」「造って」「売る」を繰り返し、無駄を徹底的に削り、同時に新しい商品・市場を創出する。アクト全員が一気通貫体制で挑んだ結果だった。
日本国内のみならず世界を相手に勝ち残っていかなければならないのは、もはや常識となった。新しい技術、商品の開発や、市場の開拓がますます必要になり、新しい感性と若い力が大きな原動力となるだろう。分社後の業容拡大に伴い、既に社員の半数近くは当時の苦しみを経験していないが、会社創設時に社名に刻み込んだ"新しい価値を創造し続ける"というDNAを若い人々へ継承しつつ、アクトは未知の領域に挑戦していく。

アクトの挑戦
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